●1985年ごろ〜現在(昭和60年から現在にかけて)
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時代の変化に苦悩する商店街
戦後から急速に発展を遂げ、昭和五十年代には多くの人でにぎわった岩国駅前の商店街だが、昭和六十年前後から平成に掛けて商店街を取り巻く環境は急変していく。
一九八三(昭和五十八年)の「ゆめタウン南岩国」オープン以来、南岩国・尾津地区にはディスカウント店などの大型小売店が相次いで進出。さらに、これまで商圏内だった大竹や柳井地区などにも、郊外型大型店が続々と進出、岩国の商圏は狭まっていく。「身近に便利な店ができたから駅前にまで足を運ぶ人は当然少なくなる。従来の駅前商圏は完全に分断されてしまった」と商店主らは嘆く。
さらに駅前地区の人口減少も深刻な問題となった。地価の高騰などで、一九七五年(昭和五十年)に三万二千人だった麻里布地区の人口は一九九九年(平成十一年)現在二万七千人強にまで落ち込み、駅前地区の空洞化は商店街の活気を奪う結果となっている。
こうした問題を背景に駅前の様子も変化していく。「フジショッピングスクエア岩国店」は一九八七年(昭和六十二年)に開店、これまでの駅前型スーパーと異なり、立体駐車場を併設、新時代の駅前大型店として脚光を浴びたが、一方で一九九五年(平成七年)、「ニチイ岩国店」が撤退。広い駐車場を持たない同店はフジや郊外型スーパーなどにお客を奪われた。「ニチイ撤退を聞いたとき、一つの時代が終わったなという気がした」と商店主の一人はしんみり。
さらに売り上げ減や経営者の高齢化などで空き店舗も目立つようになる。ある商店主は「十年後、二十年後の商店街がどうなっているのかとても不安」と心境を語る。
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駅前の将来を担う若手商店主らの頑張り
一大転換期を迎えている駅前商店街にあって、「このままではいけない」と初代から二代目へとバトンタッチが進んでいる商店主たちは危機感を深め、現状を何とか変えようと、さまざまな試みを始めた。
まず作ったのが本通りのマスコット「まりふ様」の山車。「まりふフェスタ」に繰り出して活気を呼んだ。おしゃれな陶器などを展示即売するコミュニティスペース「中通り倶楽部」といったイベントも打ち出した。先代が築いてきた駅前文化の象徴である「岩国祭り」や「土曜夜市」などの継承、発展にも力を入れてきた。
現在は「中心市街地活性化法」に基づく駅前の再開発計画が進行している。市や商工会議所と連携、総合庁舎跡地の利用法や岩国駅舎の建て直しの問題など、駅前活性化のカギを握る事業の実現について議論を深めており、今後の動向が注目されるところだ。
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商店主らが考える駅前商店街の活性化策、今後の可能性
駅前商店街の商店主らは駅前の将来についてどのような考えを持ち、どう生き残りを図ろうとしているのか。それぞれが抱く駅前活性化策や将来の可能性などを聞いてみた。
中通り「呉服のまつかわ」の松川卓司さん(41)は、駅前の将来について「みんなで頑張れば、潜在力は秘めている」と考えている。「神戸や横浜は大阪、東京という大都市があるにもかかわらず、『おしゃれなまち』として多くの人を引き付けている。駅前も独自の個性が出てくれば、大都市広島からの買い物客が取り込める。さらに基地滑走路が将来、民間にも開放され、多くの人とモノを運ぶようになれば、さらに発展が期待できるのでは」と力を込める。
本通りで「岩国アンデルセン」を経営する神高克彦さん(36)は、駅前活性化の起爆材としてインターネットなどによる情報化推進を提案する。「インターネットを利用すれば、これまでにない多くの顧客が取り込め、お客の生の声も聞ける。駅前の人通りが少なくなったと嘆く前に商店主一人ひとりが駅前に目を向けてもらえるような方策を真剣に考えなければならないのでは」と訴える。
中通りのブティック「さんあい」の松井宏通さん(48)は、「市民との一体となった駅前のまちづくりがこれからの商店街には必要」と考える。「商店主は、これまで広島や周南地区に負けない大きなまちにしたいとは考えても、買い物客や通行人のために便所や休息所を設置しようといった考えは持っていなかった」「地域住民にもまちづくりに参加してもらい、行政、商店街、市民が一緒になって新しい駅前をつくれば、次世代型の魅力あるまちになるのでは」と説明する。
現在の岩国駅前本通り
現在の中通り商店街
まりふ様の山車が繰り出した「まりふフェスタ」
平成2年、アーケード改修直後の中通り。
完成を祝って大乃国が駆け付けた
駅前再開発計画では、岩国郵便局裏の
総合庁舎跡地の利用法が話し合われている
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