▼大型小売店でにぎわう駅前商店街
一九七四年(昭和四十九年)、大規模小売店「ニチイ岩国店」「イズミ岩国店」が相次いで進出する。昭和五十年代はこれら大型店により駅前が活気づいた時期だ。
「ニチイ」は地下一階、地上七階、売り場面積七千六百平方メートルと当時としては圧倒的な規模だった。開店当初は地下に食品売り場、一階に化粧品売り場など、二階から四階は衣料、五階家庭用品、六階レジャー用品と、さまざまな商品が豊富にならんだ。
七階はレストラン、八階はゲームコーナー、さらに駅前が一望できるガラス張りのエレベーターを採用するなどアミューズメント性も高く、子供からお年寄りまで楽しめる店として市民はもとより、市外からも多くの人を引き寄せた。
また、「イズミ」も売り場面積四千五百平方メートル、地下一階、地上五階建て、地階が食料品、一|三階が衣料、四階が日用品と多彩な品ぞろえを誇った。「子供のころ、ニチイのガラス張りのエレベーターに乗るのが楽しみだった。屋上ではちびっ子向けのショーなんかもあってワクワクしながら見ていた。僕らの子供時代、岩国駅前はテーマパークに行くような感覚でしたよ」と二十六歳の男性は幼いころの駅前のイメージを語る。
▼あの手この手で大型店に対抗する地元商店街
市民にとってはあこがれの場所だった大型店だが、地元商店主にとっては「顧客をごっそり奪われかねない」という大きな不安材料でもあった。当時の様子を商店主は「ニチイなどの進出が決まったとき、大型店に客が奪われるという意見と、他地域への消費者流出が防げるという意見に分かれ、賛否両論あった。いずれにせよ、これからどうなるのかという漠然とした不安をみんな抱えていた」と振り返る。
だが、大型店進出は結果として、地元商業者の競争意識をかきたて、駅前の魅力をさらに高めていくことにつながった。地元文具店の「マルト百貨店」はニチイ、イズミの出店に合わせて一九七四年(昭和四十九年)に増床、平屋建てだった建物を近代的なビルにして品ぞろえを強化した。
さらに、中通りの映画館「国際劇場」一階には「国際プラザ」がオープン。書店や喫茶店、花屋、スポーツ店といった地元商店などがテナントとして共同入店、中通りに多くの人を引き付ける呼び水となった。
商店街の店主もそれぞれ独自の戦略で「専門店化」を図った。商店主は「正面切って大型店と勝負しても勝ち目はない。業種ごとに大型店では手に入らないような商品を販売したり、小回りの利くサービスを図ったりと、大型店に負けてなるものかという気持ちでしたよ」と当時の心境を語る。
こうした地元商店の努力で昭和五十年代、駅前の商圏は岩国市、玖珂郡一帯、大竹市にとどまらず、大島郡、柳井市、遠くは島根県六日市町から買い物客が来るまでに発展していく。
ある商店関係者は「大島だとか、柳井だとかにチラシを打っても確実にお客が来ていました」「駅前の大型店と個人商店は良い意味で歯車がかみ合い、魅力あるまちができた。郊外型の大型スーパーなどもまだなく、自分の欲しいものがそろう一番身近な場所というのが岩国駅前だったのでは」と話す。
▼徐々に商店街に変化の兆しも
このように、昭和五十年代の駅前地区は魅力ある商店街として多くの人から支持を集めていたが、一方で昭和五十八年には「イズミ南岩国店」がオープン、郊外型スーパーの進出が始まった。さらに地価の高騰などで駅前地区の空洞化も進むなど、昭和五十年代終わりごろには徐々にではあるが、現在の駅前商店街が抱える問題も現れるようになっていた。
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昭和50年ごろの岩国駅前。 イズミ、ニチイの出店でまちがにぎわった
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