▼高度成長でにぎわった古き良き時代
昭和三十年代ごろから日本は高度成長期に突入した。それにつれ、岩国駅前も新興商店街として急速に発展を遂げていく。個人商店や事業所だけなく、スーパー、映画館なども建ち並ぶようになり、商店街らしい活気に満ちてくる。
娯楽に飢えていた市民は映画館に集中した。車の数は少なかったが、通りはそぞろ歩きを楽しみながら行き交う人々で毎日がお祭りのよう。
現在、駅前にある映画館は「ニューセントラル劇場」「国際劇場」の二施設だが、当時を知る人は「三十年代ごろは現在のイズミ岩国店、広島総合銀行、こんぱる湯の前の駐車場の前などに合わせて七、八軒もの映画館があった。なんせテレビが高価だった時代。映画が最高の楽しみだったですからね」と懐かしむ。
一九五九年(昭和三十四年)には、今津町一丁目、現在の中央フード本社所在地に、当時としては最大級のスーパー「寿屋」(後に『にしき屋』となる)がオープンした。人の流れは駅前から同スーパーまでつながり、繁華街は大きく広がった。一九五七年(昭和三十二年)には一回目の岩国祭りが催され、これを機に商店同士の連帯意識やきずなは強まった。
昭和二十年代後半は飲食店が並び、歓楽街のイメージが強かった中通り筋だったが、昭和三十年代半ばごろ、通り名を「中通り商店街」と命名、商店街としての形を整えつつあった。
一九六四年(昭和三十九年)には本通り、中通り、今津町の一番町商店街が「岩国駅前商店連合会」を結成。「岩国の商業中心地は岩国駅前」という意識が、地域の商店だけでなく、市民の間にも浸透していく。
当時について、商店主らは「人であふれ、とにかくにぎやかだった」「商店も早朝から夜遅くまで開けていた。朝閉めていると、客がシャッターをドンドンたたいて早く開けろ、とせがまれたほど。古き良き時代です」と語る。
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昭和30年代前後の岩国駅前大通り。 「ムラト」の看板が見える。
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